絵を描くことについて

こんにちは。ここ最近、タイ旅行やコンサルなど
色々と考えさせられることが多く
やりたいことを独り言でどばっと吐き出します。

絵は継続していったらいつか人を喜ばせられるようになると思う。
早く私も人を喜ばせられるようになりたい!という欲求が出てきている。
英語が話せるようになってもっと感謝を伝えたい!
もっと深く相手を知りたい!という欲求と似ている。
ダイビングが上手くなりたいのも、
人を助けたり周囲の人が気持ちよく過ごせるようにしたいから。
自分1人だったら別に今のスキルで充分楽しめるから。

今まで、私はこういう自分の気持ちが出てきたら、
一時的な気まぐれの偽善者が出てきてるだけ、
人を喜ばせようなんて無駄、
やっただけ相手から返ってこなかったときに虚しくなるだけ、
と思って押しつぶして無視して見ないようにしてた。

最近は、ちょっと気持ちが変わってきた。
相手が喜ぶかどうかはわからない。
それは相手の状況にもよるし相手が決めることだし
だけど、私は自分の心の中に生まれたものを
もう無視したくないって思ってる。表現したい。
伝わるか伝わらないかもわからないけど
伝える努力をするほうを選びたい。
相手を傷つけること以外は全て出していいと思う。
もうこれは出さなきゃしゃーない。
出し方は色々あると思う。
直接言葉で伝える。絵に描く、歌にするダンスにする…
とにかくもう1人で完結するだけなのは
終わりにしなきゃいけんと思う。

人のため、を意識しすぎると
また変な風になりそうだから、その感覚じゃなくて、
あくまで、自分のためであるってこと。
私が、出したくて勝手にやっていること。
相手を想う気持ちを。

そして絵を描くことについて
自分の喜びがどこにあるのかと言えば、
自分が自分の感情をもう無視しなくなった、
無かったことにしなくなった。
一つ一つちゃんと拾って
それに誠実に向き合うようになった、ということ。
どんなに子供じみた感情だったとしても
生まれたもんは全部無視しちゃいけないんだな。
無視される。無視するが当たり前だった。
だけどそれって、殺人と何が違うんだろう?
無視は、人の心を殺す。何かが死んでいく。
私はもう何も殺したくない。

もう一つの喜びと言えば、
描いている間は、誰にも邪魔されず
自分と対話する、自分との時間を過ごせるということ。
この色好き? 嫌い? いい感じ?と。
あと、色、形、テクスチャを使って
美しさだったり自由さだったりを表わせるのも
おもしろいと思う。
写真もどこを切り取るかで色々表現できておもしろいけど、
今は写真より絵に魅力を感じているのは
自由度が高いからなのかも。
それから単純にこの描く作業自体が好き。

でも1番好きなのは、たぶん、何かに気付いて
それについてあーだこーだ考えて
こうやって書いているときなんだろうな。
きっと私の本質は考えることが好きなのだと思う。
何かに気付いて考えを深めていくのはすごく楽しい。
逆に絵は、描き始めはよくわからなくて、
描いていくうちに何かに気づいたり、考えが深まっていったりする。
何かを表現したいと思って描く絵もあれば、
よくわからないけど今の気分はこんなかんじか?
と手探りで描き始める絵と両方あっていいのかも。

最近少し違和感を感じているのは、
ipadに描くこと。
ipadは気軽で便利で、重い腰を上げるのにはとても役立った。
だけど、今は少しもの足りないというか。
窮屈というか不自由さを感じている。
絵の具を指につけて描いたり
画面上で混ざって意図しない色が現れたり
別々のテクスチャが画面上で共するしたり、
そういうことを最近私は求めているなと思う。
絵に対する魅力は、
表現することそのもの、
絵という媒体特有の制作に関わる工程、
どっちも私にとってそれぞれ別の癒しがあるのかもしれない。
画家であり〜であり〜であり、の人は、
媒体を色々試していってるってことなのか。

人のエネルギーを見てる人なんですね、
と先生に言われて、そうかもと思った。
今まで人に興味ないと思ってたけど、
その人がどんな魂してるのか、信頼に値するか
ってことは注意深く観察していると思った。
これは、たぶん、子供のころに理不尽な扱いを受けて、
すごく用心深くなっている部分だと思う。

人をテーマにするのは1つありかなと思った。
感じた魅力を表現する。

というか、自分が、何かに心が動いたら、
それを伝えたい!って思ったらそれを描けばいいのだと思う。
文字か絵かどっちか1つに決めなくていいし
文字と絵行ったり来たりしたっていい。

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