闇があるから光がある

「闇があるから光がある」の話、
頭ではわかっていたけど、今日、急に腑に落ちた。

例えば、何か人より大きな苦労を抱える人生の人がいて
それ自体は大変だし苦しみでしかないだろう。

だけど、その人は、
その苦労を乗り越えた時に大きな喜びを感じることができる。
さらに、同じ苦労をした人と、その喜びや苦労を分かち合うことができるという喜びもプラスされる。

苦労があるこそ喜びがある。
これは、腑に落ちた今考えると、
「水は上から下に流れる」というのと同じぐらい
当然のこと、世界の原理原則、そういうものだなと思う。

できることなら苦労なんて誰もしたくない。
喜びだけ味わいたい。
だけど海で高波が来れば次は海底が抉られるのと同じように
喜びだけを得ることはできない。
もし苦労を感じたことがない人がいたら
その人はきっと喜びも気づかないだろう。

同じ喜ばしい出来事が起きたとしても
苦労している人とそうでない人とでは感じ方、感受性が、全く違ってくるだろう。
苦労することは感受性を豊かにすることでもあるのかもしれない。

苦労すればするだけ、
人と共感できることの種類が増えるということなのだろう。
それは幸せなことのように思えた。

自分の人生を振り返った時、
私にはドラマチックな物語なんて何もない
可もなく不可もない人生。
それなりに人並みに悩みや試練はあれど、
そんなものは誰にでもあるもので
それもそれなりに乗り越えてきて
今無事に生きているし、生活できている。
まあどこにでもよくあるような平凡な人生。

だけど先生が言っていたこと

「あなたは人間に向き合う、
人間関係に悩んでいる人に寄り添える人になれる」

「自信がないことに自信を持てる。
それは、自分自身が自信がなかったり
悩んだ経験があるからこそ、届けられるものがある、
表現できるものがある、という気づき、
だから、自信がないことに自信を持っていい。」

こう言っていただいても、
ふーん、そんなもんかなあ、
なんかよくわからないけど、
とりあえず、今は理解できる部分だけ受け取って
手を動かしていこう。

と思ってここ2ヶ月ほど過ごしてた。

今日はたまたま肩こりがひどくて
整体の人のYoutubeとか見てて、
悩み側の人間としてと、提供する側の人間としてと、
どちらともの目というよりは、どちらでもないぼんやりした目で見ていて
どんな動機にしろ大きい悩みを乗り越えた人は
たくさんの人を救うことができるんだなあ、
とかぼんやり思って、

急に
「闇の中に光がある。」
という言葉が浮かび上がった。

きっとこれまでと違う価値観というのは
空っぽのバケツみたいなもので
一回その価値観を聞いたぐらいでは実感もなく
自分の意識を変えるまでには至らないけど
少しずつ少しずつ何回も何回も
手を変え品を変え聞いていくことで、
(よく同じ音声を何回も聞いてインプットしてくださいっていうやつもあるけど
同じ音声を何回も聞くのは暗記にはなるけど平面的にしか貯まらない気がする。
同じことを言っていたとしても
いろんなシチュエーションのものを、いろんな角度で聞いていくことで
立体的に貯まっていく感覚がある)
バケツの中が知らず知らずのうちにその価値観で満たされてきていて
それが溢れた。
それが今日だった。
という感じ。

少し前までは
自分には誰かの心を動かすようなことはできないし
誰かを助けるなんて力はない。
自分一人が生きるので精一杯だし、
みんなもそう。
誰も私のことなど気にもとめない。
私も含めて誰も人のことなんて心配する余裕もない。
人と人との温かい心の繋がりなんてフィクションでしょ。
みんな損得勘定で誰と付き合って誰と付き合わないか見定めて
省エネにするところは省エネにしてやっている。

と思っていた。
これは東京に来てからどんどんこの気持ちが強くなり
固まっていった気がする。
そう思わないと、誰にも気にもかけられない状況に
心が耐えられなかったというのもある。

だけど自分の気持ちに向き合ってきたときに
私は本当は人との温かい繋がりを求めていて
自分も人を幸せにしたい、役に立ちたい、
そういう純粋な気持ちのやりとりをしたい、
本当はそういうことを望んでいるということに気づいた。

そういうことにはなかなか気づけない。
世の中の常識的なレースがあって
そのレースのルールの中で
(ポジティブじゃないといけない、成長しなきゃいけない、とか)
自分を高めて戦って上り詰めていかなきゃいけない。
そうやって追い詰められた気持ちになっているとき
だいたい視野が狭くなっていて、他の世界があるなんて見えないし信じない。

ギリギリの極限まで追い詰められて、もう限界、無理、
これ以上いったら壊れる。。。
と手離したときに、
もっと多様性に富んだ広い世界を知ることができた。

立派な社会人の人は極限にまで追い詰められる前に
息抜きとかして、次の戦いに備えられるのだと思うけど、
私はそう器用にはできなかった。
社会人として落ちこぼれ。
闇に落ちないように必死でもがいてきたけど
落ちてしまったとき、
そこには肩肘張らずにいられる自由な世界が広がっていて
そっちのほうが自分らしいと思えた。

「闇があるから光がある。」

自分が苦労したことは
もしかしたらいつか誰かの役に立つのかもしれない。
どんな形かは今は全くわからないけど
誰かを喜ばせることができるかもしれないと思うと
少しワクワクした。

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